通勤途中で見かける風景
通勤途中で見かける風景に、あるバス停でバスを待つ親子がいます。公共のバスを待っているのではなく、障碍施設の送迎バスです。
もう何年も見ていましたが今日改めて見かけた時に、傍にいる子どもが大きくなっている事に驚きました。
驚くのもおかしな話ですが、何年も小さな子どものままではいられないのですから当たり前なんですが、一緒にいるおかあさんよりも大きくなっていました。
今、そのおかあさんは朝コンビニでバイトをしています。会話をするようになって、その子は知的障碍者で今は施設で働いている事とか、今までは祖母が面倒みたりしていたけれど、大きくなって対応できなくなってしまった、とかかなりヘビーである筈の話をあっけらかんと話をする姿に、おかぁちゃんって強いなぁ、と思ったものです。
ふと思いました。
自分の産んだ子どもがそうだったら、そうだとしても可愛いでしょう。色々手をかけてあげられると思います。けれど、自分は年老いていくのに子どもの面倒をいつまでも見ていられないでしょう。
自分は小さく弱くなっていくのに、子どもは大きく強くなっていくのを制していけなくなるでしょう。いつか自分の方が先に生を終わらせてしまった時に、その子はいったいどうなるのだろう。
その子の面倒は誰が見れるのだろう。
その子の兄弟?
それじゃあ、その子の兄弟は一生面倒を見なくてはならないのですよね。
行く先を案じてしまうのではないかと考えます。